12日ブラジルW杯を戦う日本代表メンバー23名が発表された。
これまでにも、数々の悲喜こもごものドラマが生まれてきたこの瞬間。
本登録メンバー23名
川島永嗣(スタンダール・リエージュ/ベルギー)
西川周作(浦和)
権田修一(FC東京)
今野泰幸(FC東京)
伊野波雅彦(磐田)
長友佑都(インテル/イタリア)
森重真人(FC東京)
内田篤人(シャルケ/ドイツ)
吉田麻也(サウサンプトン/イングランド)
酒井宏樹(ハノーファー/ドイツ)
酒井高徳(シュトゥットガルト/ドイツ)
遠藤保仁(G大阪)
長谷部誠(ニュルンベルク/ドイツ)
青山敏弘(広島)
山口蛍(C大阪)
香川真司(マンチェスター・U/イングランド)
清武弘嗣(ニュルンベルク/ドイツ)
本田圭佑(ミラン/イタリア)
大久保嘉人(川崎)
岡崎慎司(マインツ/ドイツ)
柿谷曜一朗(C大阪)
齋藤学(横浜FM)
大迫勇也(1860ミュンヘン/ドイツ)
前回南アフリカW杯では、大久保は日本代表の一員として南アフリカのピッチに立った。
全4試合に先発して豊富な運動量でベスト16進出に貢献した。
しかし、2012年のアジア予選ウズベキスタン戦直前のアイスランドとのテストマッチを最後に代表には招集されなかった。
2012年シーズンJ2に降格したヴィッセル神戸では、リーグ戦年間わずかに4ゴールしか得点できず、大久保はJ2へ降格させてしまったことに責任を感じ、ヴィッセル残留を希望したが、クラブ側から交渉の席で移籍を勧められたため移籍を検討することになった。
2013年の大活躍のきっかけとなった川崎フロンターレへの移籍。
第2節の大分戦(1-1)で加入後初ゴールを挙げると、その後もゴールを量産し、圧巻の全26得点で初の得点王に輝いた。
また、2013年シーズンのベストイレブンにも選出され2つの個人賞を受賞した。
大久保はJリーグデビューした当時は判定に異議を唱えてイエローカードを受けるのは「いつものこと」で、レッドカードを提示されて怒り狂う姿も珍しくなかった。だが、近頃の大久保からは若かりし頃の邪気が感じられず、ピッチに立っている時はいつも楽しそうで、余裕しゃくしゃく。イラ立ちを感じさせることは皆無に等しく、活き活き、伸び伸びとプレーしながらサラリとゴールを奪う。4年前と比べ確実に技術、走力と闘争心はそのままに、得点を奪う力は増していた。
Jリーグでの活躍は今シーズンでも続き、代表復帰へ猛アピールする裏で、2012年5月12日、長年内蔵病を患っていた父・克博さんが、61歳の若さで息を引き取った。
震える筆跡で残された遺書「日本代表になれ 空の上から見とうぞ!」死を覚悟した父が、弱った体を気力だけで支えて書いた細い文字。
大久保は泣き崩れ、「紙を見るまでは日本代表は諦めていた。どうせ入らないし、いいかなと思っていた。でも、もう一度頑張ろうという気持ちになった。(遺書に)残すまで思ってくれていたんだから」
父との約束だった代表復帰のため、「スーパーサブだっていい。代表に復帰できれば脇役でも構わない。」大久保は代表への強い気持ちを持ち続けた。
そして、ブラジルW杯メンバーが発表された12日は偶然にも他界した父・克博さんの一周忌。
待ち続けていた大久保がサプライズ選出され、羽田空港で会見では「選ばれたらサプライズと思っていた」という2大会連続で選出されたベテランは「経験がある分、やれる自信はある」「最近の代表はゴール前でワクワク感がないような気がする。そういうプレーができれば」と頼もしく答えた。