あの熱血で有名すぎる松岡修造は、ウィンブルドンでのテニスが非常に思い出深いように思われます。
ウィンブルドンの男子シングルスでは、佐藤次郎選手が日本人として輝かしい成績を残していいるものの、それ以降それに迫る成績を残す日本人の人はいませんでした。
しかし、1995年夏、松岡修三が伝説を残したのです。
※佐藤選手に関しては、こちらのページでお読み下さい。【日本人の誇り】ウィンブルドンの日本人最高成績は誰??
1995年の熱い夏
松岡修造は、1995年は6回目のウィンブルドンでした。
当初は、予選からの参加予定でしたが、本戦の出場者に欠員が出たことで、急遽本戦出場資格が回ってきたのです。
1回戦ではチェコスロバキアの選手であるカレル・ノヴァチェクにねばり勝ち、そこから2回戦、3回戦と順調に勝ち上がっていきました。
そして、運命の4回戦、アメリカのマイケル・ジョイス選手との対戦です。
この対戦中、マッチポイントまであと1本となったときに、松岡修造からあの言葉が出たそうです。
「この一球は絶対無二の一球なり」
こうして、苦しい場面を乗り越えた松岡修三は見事マイケル・ジョイス選手を破り、佐藤選手以来の62年ぶりのベスト8入りを果たしました。
次の試合では、当時世界ランク2位であったアメリカのピーと・サンプラス選手に敗れ、松岡修三のウィンブルドンは幕を閉じました。
それでは、最後に松岡修三がウィンブルドンでベスト8を決めた瞬間の映像がありますので、そちらをご覧ください。
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