2006年W杯決勝でフランス代表ジダンがイタリア代表マテラッツィに頭突きをして一発レッドカード退場になった光景を今でも覚えている人は多いと思う。
そもそも、サッカー界のレジェンドであるジダンはどうしてあのような行為をしたのか?
W杯の決勝はサッカープレーヤーの夢の舞台で、ジダンが引退をきめていた花道の試合。
フランスにとっても1998年の自国開催以来の優勝をねらった大事な試合だった。
人格者として知られるジダンが暴力に至った理由について様々な推察が行われた。
一連の絡みはテレビカメラに捉えられていたが、どのような言葉が交わされたのかは両者のみが知るところであり、読唇術の専門家が分析するニュース番組もあった。
報道によると、アルジェリア移民2世であるジダン自身への人種差別によるもので、マテラッツィの挑発にのり暴力に及んだジダンを非難する報道も少なくなかった。
両者が原因について口を開いたのは約1年後の2007年で、
ジダンはフランスのテレビ局のインタビューを受け、「あの試合を見ていたすべての子どもたちに謝りたい」と話した。
マテラッツィの侮辱について明言は避けたが、「私の大切な女性たち、母と姉に対する、深く傷つける侮蔑の言葉」を2度、3度に渡って言い続けたため、我慢ができなくなってあの行為に及んだのだ、と説明した。
マテラッツィはテレビ番組のインタビューにおいて「Preferisco la puttana di tua sorella.」と言ったのだと
訳は「お前の姉貴より娼婦 (puttana) のほうがましだ。」という発言であるが、イタリア語のputtanaは英語のbitchに相当し、解釈次第で悪意ある重大な差別発言にもなり得る言葉である。
日本人にとっては、その言葉の重さは理解するのが難しいが、子どもが「お前の母ちゃんでべそ〜」とからかうようなニュアンスにしては軽すぎるもので、アルジェリア(国民の99%はイスラム教徒)移民である両親に育てられたジダンにとってその言葉は断じて許せなかった。
ムスリム(イスラム教徒)にとって性の規範は厳格なもので、男性にとっては身内の女性を守ることが掟なのである。
ジダンがイスラム教をどれほど信仰しているかどうかは分からない。お祈りはしていないかもしれないし、アルコールも飲むかもしれない。
だが、ジダンにとって自分の母親や姉を侮辱されることは、この上ない屈辱的なことであったと考えられる。
先週から話題となっているフランスの新聞社襲撃事件では、17名もの死亡者が出た。
犠牲者を追悼し、テロに屈しない決意を示す約150万人の大規模なデモもパリで行われ、事態はフランスの9.11だ言われるほど大きくなった。
この事件の原因もムスリムを侮辱したものであり、襲撃されたフランスの新聞社は世の中の情勢を風刺画で表現している新聞社で、フランスのお国柄でユーモアに主張を自由に表現し、フランス人から絶大の人気がある。
以前には、日本代表も2012年にフランス代表と親善試合を行い、GK川島の活躍で1-0で勝利した後、フランスのテレビ番組が原発の影響で川島が腕が4本になり、スーパーセーブを連発した!と揶揄し放送した。
このようなフランスメディアのやり過ぎたジョークを交えた報道は多方面で大きな反感をかっているに違いない。
襲撃された新聞社は最新号でも、アッラーのみ唯一の神であるから偶像崇拝は禁じているにも関わらず預言者ムハンマドを風刺画で表していることはムスリムを侮辱した行為であり、さらなる挑発だとも捉えられる。
ムスリムの人口は16億人の信者が世界にいて、今後は2025年には世界人口の30%はムスリムで構成されるという統計も出ている。
グローバル化が進む中で、ムスリムのアイデンティティーを決して軽視してはならず、表現の自由を歌うフランスをはじめ欧米諸国とムスリムの拗れた関係は、
無知による悪意なきジョーク→反論されると「表現の自由」を強調→ムスリム側が暴力で反発→テロリスト呼ばわり→さらなる挑発→無知による悪意なきジョーク→反論されると「表現の自由」を強調→……
このような悪循環を打破するために、欧米諸国がイスラム側に配慮した行動をし、イスラム側も安易な欧米諸国の挑発にはのらず丸く治めれればいいなと思う。
イスラム過激派を擁護し、テロ行為を肯定する気はさらさらないが、人口の2割が移民で構成され、さらには、現大統領であるオランド大統領も移民出身者であるフランスで起こっている今の事件だからこそ平和な解決の糸口は僅かながらでもあるのではないかと思う。